Vol.1 スタッフインタビュー
知るカフェ国内事業部 大阪大学前店 4年
赤星 達也 (あかほし たつや)
大阪府出身。「男は我慢とど根性」の父親に連れられ空手を10年、以降は陸上3年、そして野球を8年続ける。知るカフェに応募した理由は「体育会にはない大学生活を経験してみたかった」から。昨年のクリスマスパーティーでは幹事の一人として音響係を担当。2年目の今年こそビンゴ大会参加を目指す。就職は子供の頃大好きだった鉄道業界へ。就職活動後に絶対成し遂げようと決めていた日本横断を知るカフェとコラボして達成。また、その際に阪大に限らず交遊を広げようと、日本縦断をきっかけに知るカフェ日本全店制覇も達成。将来の夢はリニア中央新幹線のテープカットをすること、直近の目標は効果測定一発合格。
知るカフェ × 趣味 という新たな企画を誕生させた赤星くん。
「やってみなきゃわからない」を、今回の企画を通して語ってくれました。
彼の真相に迫ります。
――知るカフェに入ったきっかけは何ですか?
僕自身、1年半前のオープンニングスタッフで入ったんですが、きっかけはtwitterでの募集で興味を持ちました。大学の部活(野球)をやってきて、チームでやり遂げることが自分の原動力にもなっていました。学生だけで店舗運営という意味では、チームがかなり重要だと思い魅力を感じました。また、きっかけを与えたいだったり、普段話したことない友達が増えるからやってみたいとなりました。個人的にカフェって印象的に真反対やしいけるか?(笑)ともいましたが、学生生活、部活だけでなく違うことでも頑張りたいと思うようになり、知るカフェで働くようになりました。結果、知るカフェに入って本当に良かったし、色々な人と出会えて同年代でもこんなに頑張ってる人がいるんやと刺激にもなりました。
――知るカフェで働いてどうですか?
チームで何かをやり遂げることの大事さをまた一段と学べたこと、同世代や先輩、後輩のすごい人たちに囲まれて働けたことで刺激になったこと、これは大きな財産だったと思ってます。働き始めてからは個人的には「お客さんにどうしたら喜んでもらえるか」をかなり意識していたと思います。だからこそ、知るカフェの店舗スタッフとしてどうあるべきかをかなり重要視していて、MG(部門マネジャー)とかになる同世代もいたけど、僕は店舗でお客さんと話したり、企業さんと接することの方が大事にして、そこを重点的に考えて働いてました。上に上がることも大事だったけど、どちらかを選べるなら、「お客さんを喜ばせたい」という思いが強かったです。そのためには接客がかなり重要だと感じ、一番大事にしてましたね。アットホームな感じの場所にできたらいいなと思いながら働いてました。
――知るカフェ×日本縦断プロジェクトを始めるきっかけって何だったんですか?
きっかけは2段階あって、1つの段階は留学した時の出来事で、もう1つの段階は柿本社長に不意に話したことでした。
1つ目の段階の留学した時の出来事ですが、もともと旅が好きでロマンを感じていた部分はありました。その中旅は全然できてない状況だったのですが、ある日2週間くらいオーストラリアに留学できる機会があり、留学することにしました。ちょうど留学した時は東北大震災が起きて2年後くらいだったと思いますが、そこのホストファミリーに「東北大震災悲惨やったね。めちゃくちゃ心配してて、日本は大丈夫なの?」と聞かれました。その時、僕は日本がどんな状況か、東方地方がどんな状況か、どんな被害があったのかは全然話すことができなかったんです。そもそも福島や宮城と言われても全然知らないし、行ったこともなく、ましてや、震災があってからもボランティアもしなかったし、現地に行って確かめたこともなかった。ただただテレビでみていただけだったんですよね。僕はこの瞬間かなり悔しかったんですよね。日本人やのに、日本のこと聞いてもわからへんっていうことに。日本のこと話せてないのに、日本人って語るのはめちゃ悔しかったんですよね。その時に、日本全国をを旅して、現地の人と触れ合い、現地を知ることが必要やなと思いました。世界を見て回るより、日本をしっかり見て学び、それを発信していきたいと思いました。日本人として日本語を語り、日本を語りたい。この出来事で就職活動終えたら絶対すると誓いました。
もう1つの段階は柿本社長が知るカフェ大阪大学前店に用事がありいらっしゃった時に、「赤星、夏休み何すんの?」という話から発展したことでした。自転車で日本横断をすることを伝え、けれどもお金がなくて苦労しているんですよ….と話したところ、「逆にさ、スポンサーなったらええんちゃう?」と提案をいただけました。この言葉から、僕は知るカフェ日本横断プロジェクトの案を練ってできることになりました。広告塔として全国に知るカフェを宣伝すること、服のデザインを考えて、それ着て日本横断をすることを条件として、スポンサーになりました。知るカフェからは1日500円分(ドリンク代)をいただく形で決定。めちゃくちゃ感謝していて、これが決まったのも出発の1週間前とかで、救いの手をいただけた感じでした(笑)スポンサー費用をいただけてもお金はカツカツで朝ごはん食パン1枚、昼ごはんはおにぎり、晩御飯でやっと美味しいものを食べれるという生活ばっかでしたね(笑)
――知るカフェ×日本縦断プロジェクトの目標とコンセプトは何だったんですか?
個人的目標は先ほども言った通り、日本を知ってる正真正銘の日本人でありたいということで、知るカフェの目標は、スタッフでもこのような取り組みふができることを伝えるだとか、趣味が知るカフェに力になることの証明、このようなことをどんどん提案して欲しいというところですかね。道は意図的に遠回りしていて、全店舗に回ってこのことを伝える役割でありたいと思っていました。広告塔は社外にも社内にということです。コンセプトは出会うひとりひとりを大切にすることをおいていましたね。そこは本当に大事にしたかったし、自分が日本を知るためには必要不可欠だったと思います。
――日本横断をして感じたこと・学べたことは何ですか?
まず言いたいことは、大阪出身から日本出身と言えるようになったことですかね(笑)まだまだ完璧とは言い難いですが、ほぼ言えるくらいまでにはなったと思います。
東日本の人と西日本の人は随分と違うな〜と思うこともありました。出会う人達は本当に温かく見守ってくれて迎えてくれました。日本ってこんな素晴らしいねんなーと感じれましたね。例えば、東日本ではいつも道の駅で野宿をしていたのですが、そこであったトラック運転手のおっちゃんから説教をくらいました(笑)親に何心配かけてるねん、内定あるんやろ、変なことして取り消しとかなったらどないすんねん、死にそうになったりするやないかって(笑)間違いないな〜と思っていて、心配してくれて感謝の言葉を伝えたら、最後は頑張れよと声をかけてくれて、1万円をいただいたこともありました。西日本ではお恵みをいただく機会がかなり頻繁にあって、熊本ではみかんを20~30個くらい渡してくれたりして。旅の途中でご飯を奢ってもらったり、お恵みをいただいたりしてた時に、「大きくなったりしたら、また後輩がこんなことしてたら自分がしてあげるんやで」と言われ感動して、受けた恩は忘れず、その恩をその人ではなくまた後輩に恩をということが大事と教えてくれたりしました。けれども孤独との戦いで、本当に辛い時が多くて…。一人で野宿することほど怖いことはなかったし、テントを張ってたら、音の気配がして自転車を倒された時もあったし…(多分クマやったと思う)(笑)一人で山道を漕いで漕いでひたすら漕いで。これほどしんどいと感じたことはなかったです。
学べたことはたくさんありすぎてまとめきれないけど、その中で印象的なこと2つあって、1つは、「あたりまえという考え方が変わったこと」もう1つは、「好きな言葉を肌で体感できたこと」でした。
1つ目は、当たり前の考え方が変わったことで、大学で日本横断をするというとキチガイと思われるくらいで、どうせ口だけやろと言われたけど、実際やってみると道の駅でテント張って寝てるといろんな旅人の人と出会えて、そこの旅人にいろんな生き方を学べて、当たり前が変わりましたね。社会人で働いてて辞めて、日本一周をやり始めた人がいたり、退学中退して日本一周をしてたり、浪人中に日本一周とかしている人もいたり、一つの都道府県でバイトしてお金を貯めてその現地の働きかたを学んで、次の都道府県に行くということをしている人がいたり。いろんな生き方を知ることができ、考え方も変わることができたこと。これは大きな学びでした。
もう1つは、好きな言葉を肌で感じれたことで、好きな言葉が体験できたんですよね。宇宙兄弟という漫画に出てくる言葉なのですが、 「人生にはいくつもの”夢のドア”がある。多くの人は大きな夢を持った時、目の前に現れたバカでかいドアに萎縮して諦めてしまう。でも本当はそんなバカでかいドアなんてなんてものはない。小さなドアがあるだけだ。意地でも何でも次のドアに手を伸ばし続けることが夢を叶えるコツだ」で、これは自転車を漕いでてかなり感じれたことだなと思いました。たかが1日何十キロ走ったとしても何日も重ねることでゴールに到達できる。毎日の積み重ねは本当に大事だと改めて感じれました。
あとは、「近くに行きたきゃ一人で行け・遠くに行きたきゃみんなで行け」って言葉ですね。この企画を成し遂げることは僕一人での夢やと思ってました。けれども友達がめちゃくちゃ協力的で、「頑張れよ!」「泊まって行きや」「おじいちゃん、おばあちゃんのお家、北海道にあるから泊まっていきや」などいろんな声をかけてもらえたこと。そして何よりも、びっくりしたのは赤の他人(地元の人・職業違う人など)が応援してくれたり、ご飯ごちそうになったり、自転車の修理をタダにしてくれたり…。自分の夢じゃなくてみんなに支えられてたんやなーと日本の素晴らしさを感じれましたね。ほんまええ国やで。
――将来の知るカフェスタッフへメッセージを!
知るカフェで無限大に色々と考えて欲しいし、型にはまらないことをして欲しいですね。実践型インターンを感じたいならもっと積極的にやっていくべきだと思うし、自分のやりたいことは無限大。何か新しいことをしていってほしいです。本当に行動が大事で、やってみる精神がなんやかんや大事だと思います。知るカフェってカフェやけど、かなりの経験をできるし、その経験を糧にして社会人になった時に生かしてほしいです。限界を決めてやるのではなく、可能性を信じてやっていってほしい!大きい取り組みをした人間でもなく上にガツガツいくタイプでもなかった僕が、日本縦断に関してはガツガツとみんなに伝えてました。正直、みんなに言うことで自分を追い込んでた感じもありました(笑)けれども、人に伝えることが何かのきっかけに繋がると思う。ここまで出来たのは、自分の意志を持つことも大事だと思うけど、伝えることが大事。恥ずかしいと思わず、提案をどんどん出してほしいし、何か伝えることで何か生まれる可能性はある。悩んだら最高の仲間がいると思う、最高の仲間に頼ってみたらまたええもんができると思う。そこを意識して取り組んでほしいです!
今後の活躍を期待しております。
文・写真:山田雅也
0コメント